スタッフブログ

2022年9月7日

「ら抜き言葉」は意味がある

こんにちは。日本語教師養成講座ニューヨークアカデミー福岡大橋校の緒方です。

日一日と涼しくなり、秋の気配を感じる今日この頃です。

今日は「ら抜き言葉」について考えてみようと思います。

日本語教師になるずっと前の話ですが、「食べられる」という言葉を聞いたときにものすごい違和感を持ったことがありました。
当時住んでいた家の隣のSさんに、2歳だった娘を少しの間預かっていただいたときのことです。Sさんは母と同じ年代で、娘と同い年のお孫さんがいることもあり、いつも気遣ってくださり、娘のこともとても可愛がってくださっていました。
その日、娘をお迎えに行ったときのこと、Sさんが「〇〇ちゃん、お刺身を食べられたよ」とおっしゃったのです。
この「食べられた」という表現にとても違和感を覚えました。え?娘に敬語?2歳の子供に?と不思議に思ったのですが、Sさんは日頃から丁寧な言葉遣いをされる方だったので、「食べられた」と敬語を使われたのだなと理解しました。それにしても何だかちょっと納得がいかなくて、その日のことがいつまでも頭から離れませんでした。

それから月日は流れ、ある日、「あ!そうだったんだ!」と過去のモヤモヤが一瞬にして消え去ることがあったのです。
それは、養成講座の授業の中で「ら抜き言葉」を知った時のことです。
「ら抜き言葉」とは、見れる、食べれる、来れるなどの「れ」の前の「ら」が脱落した言い方です。
「食べられる」や「来られる」など、これだけ聞いても「可能表現」か「尊敬表現」かの区別はつきません。
ですから区別をつけるために、可能の意味の場合に、「食べれられる」は「食べれる」、「来られる」は「来れる」のように「ら」を外して意味を明確にすることから使われ始めたそうです。
昭和初期頃から広がってきとといわれる「ら抜き言葉」は、文法上は正しくないとされていますが、今では多くの人が使うようになっています。

思い返して考えてみると、Sさんの意味は「食べることができた」という可能の意味だったのかもしれません。2歳の子供ですから、お刺身を食べたことに驚いて「食べられたよ!」と伝えてくれていたのかもと今になって思うのです。ら抜き言葉にすっかり慣れていた私は、本来の正しい使い方である「食べられた」という可能表現を見逃していた可能性があります。真相はわかりませんが、今でも鮮明な記憶として残っている出来事の一つです。

日本語教育では「ら有り言葉」を教えます。日本語のテキストには当然「ら有り言葉」が載っていますから、「ら有り言葉」をしっかり学ばなければなりません。
しかしながら、留学生は日常で「ら抜き言葉」も耳にするはずです。「ら抜き言葉」を聞いたとき混乱なく対応できるように、「最近はこんな言い方もあります」と「見れる」「食べれる」などを「理由のあること」として教えてもいいのではないかと考えます。
言葉は移り変わっていくものですから、柔軟な考えを持って日本語教育に携わりたいと思うのです。

では、また次のブログでお会いしましょう。

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